朝日日本歴史人物事典 「林田亀太郎」の解説
林田亀太郎
生年:文久3.8.15(1863.9.27)
明治大正期の官僚,政治家。号は雲梯。肥後(熊本)藩士の子として生まれる。嘉悦氏房の広取黌に学ぶ。上京し,大学予備門に入る。明治20(1887)年帝大法科大政治学科卒業。同年法制局に入り,その後,法制局参事官,衆議院書記官,衆議院書記官長などを歴任。大正4(1915)年大浦兼武内相事件に連座し辞職。9年東京府第2区から衆院議員となる。11年革新倶楽部に参加し普選法案の起案に携わる。14年新正倶楽部を結成。また,鮫川電力社長,雑誌社長,『東京毎夕新聞』主筆などを務めた。<著作>『日本政党史』『政界側面史』
(佐々博雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報