東行村(読み)とうぎようむら

日本歴史地名大系 「東行村」の解説

東行村
とうぎようむら

[現在地名]挟間町赤野あかの 東行など

賀来かく川右岸にあり、西方上流の朴木ほおのき村を経て府内・日田往還が通る。江戸時代を通じて臼杵藩領で、慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳では赤野村に含まれたと考えられる。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳に村名がみえ、田高三一石余・畑高四七石余。小松山あり、日損所と注記される。正保郷帳では阿南あなん庄に所属。享保六年(一七二一)には高七八石余のうち、古田高三二石余・畑成田高二二石余・畑高二三石余。名請人は二八(入作含む)、うち一石未満一〇、一―三石六、三―五石八、五―一〇石三、一〇石以上は一(首藤家文書)。正保郷帳の土地構成と大きく変化しているが、堤の筑造によると考えられる(挟間町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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