東端村(読み)ひがしばたむら

日本歴史地名大系 「東端村」の解説

東端村
ひがしばたむら

[現在地名]安城市東端町・根崎ねさき

東は和泉いずみ村・根崎村に隣し、南から西にかけてあぶらふちをもって鷲塚わしづか(現碧南市)と境し、西は長田おさだ川の浸食谷を挟んで西端にしばた(現碧南市)と境する。八剣はつけん神社の境内からその南にかけて、大きな貝塚があった。今は破壊されたが縄文晩期末の八剣貝塚とよばれる。寺下てらした貝塚(縄文晩期)など古代・中世にわたる小貝塚が六ヵ所ある。

近世まで海辺の村。永正三年(一五〇六)福釜松平氏がここに出城を築き、郭内にあたる地に住んでいた人々は、根崎村西根にしねに移り住んだという。

東端村
ひがしばたむら

[現在地名]南知多内海うつみ

内海川の東岸に位置し、南は伊勢湾、西は川を隔てて西端にしばた村、東は村に接する。南東部は丘陵知多半島最高の高峰たかみね一二八・三メートルがある。

「寛文覚書」によれば、概高一六七石余、田地四町三反二畝余、畑地一三町九畝余、塩浜九反二畝余、家数一〇八、人口六六三。将軍上洛・朝鮮使節通行の時人馬を出す。西端村と立合の小船五三艘あり、舟役御用の時は舟と水主を出すとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報