東福童村(読み)ひがしふくどうむら

日本歴史地名大系 「東福童村」の解説

東福童村
ひがしふくどうむら

[現在地名]小郡市福童

宝満ほうまん川下流右岸に位置し、北は寺福童てらふくどう村、西は西福童村に接する。古来より福童原ふくどうばるとよばれた地で、延文四年(一三五九)八月六日の大保原合戦(大保原福童原合戦)の地。文禄四年(一五九五)一二月一日の小早川秀俊充行知行方目録(萩藩閥閲録)では三原みはら郡「東福とう村」の二七六石余など二千石が草苅重継の領知となっている。万治二年(一六五九)の大水で田地が砂入になったという(古代日記書抜)。本高は三四九石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高四六〇石・役高六三三石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高六四一石、文化四年(一八〇七)畝付帳では本田三九町四反余・開田六反余・畑田三町四反余・畑一一町四反余・居屋敷七反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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