東江村(読み)あがりむら

日本歴史地名大系 「東江村」の解説

東江村
あがりむら

[現在地名]名護東江あがりえ一―五丁目・名護なご

名護なぐ間切の中央部に位置し、北西ぐしく村。集落名護なごグスクから降りて幸地こうち川を南に越えた山川又やまがーまたに形成され、のち海岸低地のアガリ浜のほうに広がった。絵図郷村帳にみえる名護間切の「名護村」が当村か。近世を通して名護なぐ村に属し、名護三箇の一つ。名護間切の地頭代を東江大屋子(親雲上)と称しており(琉球国由来記)実体として東江村が存在していたことがわかる。首里の蓮華院(旧名は万松院)の僧徳叟(元仁ともいう)が、名護嶽に茅葺の院を開き万松ばんしよう院とした(中山伝信録・周煌冊封使録)

東江村
あーりむら

[現在地名]伊江村東江上ひがしえうえ東江前ひがしえまえ

東江はアガリエともいう。伊江いえ島の東半を占め、集落はぐすく山の東側に発達した。「琉球国由来記」にみえる一二根所(一部は現在地不明)のほとんどが村内にあり、島内で最も早くに開けた地と考えられている。一六世紀中頃に派遣された伊江大ノロ(君ノロ格)の屋敷は御殿うどうん山の裾に設けられ、一七世紀半ば過ぎに伊江大ノロが首里に引上げると、同屋敷跡に伊江島いえじま番所が置かれて、島政の中心地となった。

江村
ひがしさばえむら

[現在地名]鯖江市東鯖江一―四丁目・あさひ町一―四丁目・やなぎ町一―四丁目・町・横江よこえ町二丁目・新横江しんよこえ一―二丁目・深江ふかえ町・舟津ふなつ町二丁目

北陸街道の東側にあり、西は同街道を境に西鯖江村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では今南西郡鯖江村に含まれ、村名は正保郷帳にみえる。同帳によれば田方一千八七二石余・畠方五九石余。「越前国名蹟考」は枝村として「下鯖江・出村」を記す。初め福井藩領、貞享三年(一六八六)幕府領、元禄一一年(一六九八)小浜藩領、享保六年(一七二一)村替により鯖江藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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