名護市(読み)ナゴシ

デジタル大辞泉 「名護市」の意味・読み・例文・類語

なご‐し【名護市】

名護

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日本歴史地名大系 「名護市」の解説

名護市
なごし

面積:二一〇・二四平方キロ

沖縄島北部に位置し、市域の中央を北東から南西に国頭山地が延び、本部もとぶ半島の一部を含む。東から南は太平洋に、北と西は東シナ海に面する。北東は大宜味おおぎみ村・ひがし村、北西は今帰仁なきじん村・本部もとぶ町、南西は恩納おんな村・宜野座ぎのざ村に接する。面積の約五三パーセントが山林である。北東から南西に連なる宇橋うばし(二八三・六メートル)ひとツ岳(二九五・四メートル)多野たの(三八五・二メートル)名護なご(三四五・二メートル)辺野古へのこ(三三二メートル)久志くし(三三五・一メートル)いし(二三六メートル)が市域を東西に分け、北西には嘉津宇かつう(四五二メートル)安和あわ(四三二メートル)八重やえ(四五三・五メートル)がそびえる。このうち多野岳はタニューダキともいい、ほとんどが粘板岩や千枚岩を主体とする名護層(古第三紀)で構成され、羽地はねじ内海を眼下に見下ろし、三六〇度の眺望のきく場所として知られる。頂上には宿泊施設「いこいの村おきなわ」のほか、キャンプ施設を備えた森林公園などがあり、周辺には電波塔が林立している。野鳥および星空観察の名所でもある。前記の山地に降る雨を集めて、源河げんか川・羽地はねじ大川・我部祖河がぶそか川・屋部やぶ川・汀間ていま川・大浦おおうら川など中小の多くの川が流れ、下流に沖積低地を形成し、そこに集落が立地する。中小の沖積低地は近世以降水田に利用され、山・海とともに個性的な山原やんばる型の土地利用が形づくられてきた。現代の道路交通は国道五八号を軸に、本部半島を一周する国道の四四九号・五〇五号、東海岸の国道三三一号、名護なご湾と太平洋側を結ぶ国道三二九号などが走り、那覇市とを結ぶ沖縄自動車道が市域南西部の許田きよだインターまで延びている。

〔先史時代〕

当市域の先史時代の遺跡は、屋我地やがじ島北端の大堂原うふどーばる貝塚を最古(約五千年前)とし、貝塚時代早期―中期の遺跡が二〇ヵ所余確認されている。貝塚時代後期の遺跡は多くが海岸砂丘に立地し、名護湾地域では喜瀬きせ・許田・名護・屋部やぶ・安和など、屋我地島では屋我やが運天原うんてんばるなど、東海岸では久志くし辺野古へのこ安部あぶ嘉陽かようなどでみつかっている。なお屋我地運天原サバヤ貝塚は県指定史跡。

〔古琉球〕

御嶽をもつ集落の多くは、古琉球の小規模なグスク時代の集落に成立の起源がさかのぼる。小高いところで、多くは南向きに立地し、近くに稲作ができる低地を抱えている。当市域ではこの小規模なグスク時代集落が三〇ヵ所余確認されている。一四世紀以降、小さな集落を統轄支配した有力な按司は大型グスクを構え、その支配地域はのちに間切と称される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「名護市」の意味・わかりやすい解説

名護〔市〕
なご

沖縄県沖縄島の北部にある市。1970年名護町と久志村,羽地村,屋我地村,屋部村の 4村が合体して市制。市名は近世以来の間切(まぎり。行政区画)名に由来する。中心市街地の名護は沖縄島北部の中心地で,断層崖と山地が名護湾岸に迫り,砂浜に沿った細長い市街地を形成している。良質で豊富な水を利用してビール工場が立地。本部半島基部の平地では米作からサトウキビ栽培にほとんど転換した。傾斜地にはパイナップル栽培,養鶏が発達し,屋部地区にはセメント工場が立地。名護岳(345m)のふもとに日本一開花が早いといわれるサクラの名所名護城跡がある。海中展望塔,沖縄海岸海域公園地区などのある南西海岸は沖縄海岸国定公園に属している。那覇市にいたる沖縄自動車道のほか,国道58号線,329号線,331号線,449号線,505号線が通る。面積 210.94km2。人口 6万3554(2020)。

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