東川田村(読み)ひがしかわたむら

日本歴史地名大系 「東川田村」の解説

東川田村
ひがしかわたむら

[現在地名]山川町 境谷さかいだに宮地みやじ季邦すえくに翁喜台おうきだい建石たていし川東かわひがし住吉すみよし西にしはら麦原むぎはら東麦原ひがしむぎはら新田谷しんただに川田赤岩かわたあかいわ朝日あさひ丸山まるやま津由谷つゆだに横走よこばしりやまかみ石堂いしどう旗見はたみ恵下えげ奥川田おくがわた井上いのうえまち村雲むらくも川田北島かわたきたじま川田天神かわたてんじん片岸かたぎし土橋どばし瀬津せづ市久保いちくぼ・川田・川田市かわたいち槻原かえきばら貞田さだた引地ひきち舟戸ふなと一里塚いちりづか麻掛おがけ小路しようじ御旅館ごりよかん茂草もそう赤刎あかはね高頭こうず鼓山つつみやま藤生ふじしよう日知利子ひじりこ楮本かしのもと木戸口きどぐちはち久保くぼ柿木谷かきのきだに井傍いのそば平山ひらやま野宮谷のみやだに坂口さかぐち権現谷ごんげんだに土橋どばしうえ天神佐古てんじんさこくわみね塚穴つかあな大峯おおみね榛木原はりのきばら天王原てんのうばら川田八幡かわたはちまん御饌免ごせんめん奥原おくばらうら宮谷みやだに土仏西向つちぼとけにしむき矢落やおちうし子尾こお一ッ石ひとついし大室おおむろ木綿麻山ゆうまやま川田忌部山かわたいんべやま向原むこうはら大須賀おおすか馬場崎ばばざき日鷲谷ひわしだに鍋倉なべくら伊瑞穂いずほ黒岩くろいわ大藤谷おおとうだに

瀬詰せづめ村の南に位置し、南は川田山。西川田村とともに中世の河輪田かわわた(河田庄)の遺称地で、川田は河田とも記した。当村と西川田村・川田山の関係について「阿波志」は、天文年中(一五三二―五五)以降一村であったが、天正一七年(一五八九)にまず川田村と川田山に分れ、その後川田村が東西二村になったとする。

東川田村
ひがしかわだむら

[現在地名]宇都宮市川田町かわだまち

東は下栗しもぐり村。東・南・北は平坦地で村の中央を川が南流する。元和六年(一六二〇)四月一六日の山田彦左衛門・加藤内記連署知行目録(岩上文書)によれば「宇都宮領東河田村之内」一〇〇石が岩上久左衛門の知行となっている。近世を通じて宇都宮藩領。慶安郷帳に田方八二四石余・畑方一二四石余とある。正徳年間(一七一一―一六)の宇都宮領村々諸割物高付覚帳(五月女久五文書)では、藁縄干葉莚空俵等納高四二五石余、人足勤洪水普請勤高五五〇石余。享保元年(一七一六)雀宮すずめのみや宿助郷高は八八〇石(「雀宮宿助郷帳」県立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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