東岩瀬町(読み)ひがしいわせまち

日本歴史地名大系 「東岩瀬町」の解説

東岩瀬町
ひがしいわせまち

[現在地名]富山市東岩瀬町など

神通川河口右岸にあり、東岩瀬村から行政的に分れて成立。単に岩瀬町とも称された。集落東岩瀬田地方ひがしいわせでんじがた西宮にしのみや両村と混然一体をなした。明暦二年(一六五六)の村御印留で田地方からの分離独立が知られ、東岩瀬宿方並同浦方ひがしいわせしゆくかたならびにどううらかたとして本米一石五斗のほか、小物成として鱒役二〇匁・猟船櫂役六〇五匁・地子銀七七七匁・伝馬役三九匁・網役二一三匁・外海船櫂役九四五匁・浦役四八四匁・舟橋古舟借賃八匁が課され、野役・紺屋役・室役が同年から免除された。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では小物成として地子銀一貫三八一匁二分・伝馬銀五五匁・浦役四八四匁・猟船櫂役四二〇目・網役一五二匁・鱒役二〇匁・外海船櫂役九九匁が課されている(三箇国高物成帳)。天保一三年(一八四二)の宿方役銀として地子銀五三六匁・伝馬役五五匁・鍛冶役五五匁・蝋燭役三五匁・酒造役二一匁・豆腐役三〇匁・ちしゃの実絞り油役四三匁があり、退転分は油臼役・紺屋役・室屋役などであった。また浦方役銀は地子銀三九二匁・外海船櫂役一七〇匁・酒造役三五匁・素味役一二匁・七木運上二匁・綿種絞役二五匁・他国出魚三歩半口銭三貫五五四文・諸産物他国出口銭一九二匁・産物領国中出津口銭一六九匁があり、ほかは退転した(「村御印并当時御物成高相調理書上申帳」杉木家文書)。万治元年(一六五八)から連年の神通川氾濫で千原崎ちわらざき村・草島くさじま村の交通機能が打撃を受けると、東岩瀬宿方・同浦方の重要性が増大し、寛文二年に加賀藩主往還路(北陸街道)の新宿として指定され、東岩瀬宿が成立した。同年町蔵(給人蔵)、同五年新川郡奉行所、同六年十村寄合所、同七年高札場、同九年御旅屋が東岩瀬田地方・西宮村からの請地などに設置された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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