東寺領散所(読み)とうじりようさんじよ

日本歴史地名大系 「東寺領散所」の解説

東寺領散所
とうじりようさんじよ

東寺(教王護国寺)周辺には、東寺の支配下にあって、寺中の掃除や警衛など種々の雑役に従う人々(散所法師)がおり、彼ら及び彼らの居所を散所といった。

信濃小路猪熊しなのこうじいのくま散所は文保元年(一三一七)八月五日の中御門経宣奉書(東寺百合文書、以下同文書は個別文書名のみ記す)により、当時八条院町烏丸からすま(現下京区)の辺りで、「掃除役」に勤仕する「散(所)法師」のいたことがわかる。翌二年の後宇多上皇院宣には、

<資料は省略されています>

とあり、東寺が後宇多上皇から寄進をうけた一五人の散所法師は、寺辺に居住していた散所民の一グループで、寺中の掃除役に勤仕するべきものであった。ただしこの散所法師は、嘉暦二年(一三二七)、散所長者亀菊法師が権門の威を募り検非違使庁の所勘に従わずとして訴えられた一件(三月七日付中原章房挙状・五月六日付別当宣)が示すように、散所長者に率いられて所定の寺役に従事する一方、検非違使庁(後には侍所)の統轄下におかれていた。

文保二年寄進の散所は、応永九年(一四〇二)一二月一五日の侍所別当土岐頼益施行状によると「信濃小路猪熊西頬壱町」である。つまり廿一口年預記(応永一一年正月一七日条)図面に記された「法性寺押坊」「妙見寺堂」「妙見寺」の猪熊小路に面する南北一町の巷所であり、同図に信濃小路の大宮と猪熊の間の北つらに示された「散所在所」は、この巷所に居住する散所民が東寺に施入されるに伴って、「信濃小路猪熊西頬」の散所民に宛行われたものと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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