実隆公記
さねたかこうき
内大臣三条西(さんじょうにし)実隆の日記。1474年(文明6)より1536年(天文5)に至るまで、途中一部欠失はあるものの自筆の原本が残っている。三条西家は正親町(おおぎまち)三条家の庶流で、公家(くげ)としては中の上といったランクであったが、実隆は学識豊かで和漢の学に通じ、歌人、能書家としても知られていた。天皇や将軍の信任が厚く、当時勢力を伸長してきた地方武士らとも交流があった。日記は応仁(おうにん)の乱(1467~77)後の政治・社会情勢、三条西家の経済状態を知りうる記事が多く、貴重な史料であるが、さらに多くの人々からきた手紙の裏を利用して記されているため、公家・武家をはじめ連歌師ら芸能人など、彼の交友範囲にある300余人の手紙を伝えている点でも貴重である。自筆本は東京大学史料編纂(へんさん)所に架蔵されており、それを基にした活字本が続群書類従完成会から刊行されている。
[桑山浩然]
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実隆公記
さねたかこうき
室町時代の日記。三条西実隆著。 60巻余。文明6 (1474) 年 20歳から死の前年の天文5 (1536) 年 82歳まで 62年間にわたる。漢文体。室町時代後期の最高の公家文学者であった実隆が,朝廷の儀式をはじめ,学問,文芸,社会の各方面にわたって詳細に記した日記で,当時の文化,文学や社会生活を知る貴重な資料。
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さねたかこうき【実隆公記】
室町時代後期の
公卿、三条西実隆の日記。記事は文明六年(
一四七四)
正月から天文五年(
一五三六)二月にわたる。
博学を以て知られ、公家にも武家にも重んぜられた実隆の日記で、朝廷や
幕府を中心とする
政治史の好史料であるとともに、当時の文化のありようを知る上でも重要。
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実隆公記
さねたかこうき
室町後期,三条西実隆の日記
1474〜1536年まで,63年間書きつづけられた。内容は戦国争乱期の政治・社会・文化など各方面にわたり,室町時代後半の最も貴重な史料。
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デジタル大辞泉
「実隆公記」の意味・読み・例文・類語
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さねたかこうき【実隆公記】
室町時代の公家三条西実隆の日記。1474‐1536年(文明6‐天文5)の62年間の記載がある。当該時期は応仁・文明の乱以降のいわゆる戦国時代の真っただ中にあり,また記述内容も詳細にわたっているので,この時期における政治,社会,文化を知るうえで質・量ともに貴重な資料ということができる。また自筆本の料紙として多量の手紙等の裏を再利用しているので,紙背文書も資料としての価値が高い。内容は,公家の日常生活から所領支配の実態,朝儀から社会情勢までと多岐にわたる記載があり,収入を確保するための戦国大名とのやりとりなど興味深い記事が多い。
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世界大百科事典内の実隆公記の言及
【三条西実隆】より
…《大内問答》《多々良問答》は公家の有職故実にあこがれた大内義興・義隆父子との問答集である。第3の功績は,この時代の政治・社会から実隆周辺の文化史上の動向まで,1474年(文明6)から1536年(天文5)にいたる63年間にわたってくわしく書きつがれた日記《実隆公記》をのこしたことである。なお実隆にはほかに《高野山参詣日記》などがある。…
※「実隆公記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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