東ノ川村(読み)ひがしのかわむら

日本歴史地名大系 「東ノ川村」の解説

東ノ川村
ひがしのかわむら

[現在地名]上北山村大字小橡

東ノ川流域の開拓集落。慶安年間(一六四八―五二)から小瀬こぜ栃本とちもと西野にしの三ヵ村の百姓によって開発されたといい、文政一三年(一八三〇)には田畑一二―一三町、三三軒、一五〇人の集落となる。同年一〇月二三日付で東ノ川百姓は連名で五条代官矢嶋藤蔵宛に立村願を差出した。そのなかに開発の由来や現況を述べたのち、「何卒御慈悲ヲ以当枝在地面累年開発仕候拾弐三町歩之田畑御見知之上、御高入相当之御上納被仰付、山林之儀も是又相当之山役銀相納、私共も三ケ村之者同様進退いたし、東ノ川村と村名被付被下置候得は、猶更農業渡世出精仕、往々広太之野原打開、御年貢上納仕候て奉報御厚恩候様相成候得ハ、冥加至極難有仕合奉存候」と訴えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報