来島庄(読み)きじまのしよう

日本歴史地名大系 「来島庄」の解説

来島庄
きじまのしよう

現赤来町北部から頓原とんばら町南部に所在した庄園。庄園領主は不明だが、「出雲国風土記」にみえる飯石郡来島郷の一部が再編成されて成立した。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の一四番に「伊秩庄六十丁四反三百歩来島松助入道 来島庄廿丁同人」とあり、伊秩いちつ(現出雲市)とともに来島松助入道が地頭であった。来島氏は在地名を名乗るところから、平安時代末以来この地に勢力を保持していたと推定される。元弘三年(一三三三)五月日の山内通継軍忠状(山内首藤家文書)によると、出雲国来島和田三郎が備後国・石見国の武士とともに山城国山崎やまざき(現京都府大山崎町)の戦に参加している。この人物は来島氏の庶子庄内和田わだの地を支配していたと考えられ、来島氏内部でも分割相続が進行していた。観応元年(一三五〇)八月日の諏訪部貞助軍忠状(三刀屋文書)によると、貞助ら幕府方は同年七月一二日に来島蔵人三郎入道などが立籠る来島庄内由木ゆき(現頓原町)を攻め落し、その翌日には同庄内野萱のがやおよび下子しもご城の来島蔵人次郎と佐々木近江次郎左衛門尉貞宗(塩冶高貞子)らを攻撃している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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