しょ‐し【庶子】
〘名〙
① 庶出の子。正妻でない女から生まれた子。
妾腹(しょうふく)の子。
※令義解(718)継嗣「无
二母弟一。立
二庶子
一。无
二庶子
一。立
二嫡孫同母弟
一」
※随筆・折たく柴の記(1716頃)上「一門の人々は庶子のおはせしを愛して、それを立られんとの事にやとうたがはれて」 〔戦国策‐西周策・赧王〕
※令義解(718)選叙「凡五位以上子出身者。一位嫡子従五位下。庶子正六位上」
※虎寛本狂言・
粟田口(室町末‐近世初)「東林は庶子、東馬は
惣領たるべし」
③
中世、
惣領制において、惣領の支配下に属する一族の者。寄子。
※来島文書‐永仁二年(1294)三月六日「充二給惣領一跡混二領庶子分一事」
④ 年齢のいっていない子。若年の子。
※御成敗式目(1232)二二条「右其親以二成人之子一令二吹挙一之間、励二勤厚之思一、積二労功一之処、或付二継母之讒言一、或依二庶子之鍾愛一、其子雖レ不レ被二義絶一、忽漏二彼処分一」
⑤ 旧
民法で、父の認知した
私生児。昭和二三年(
一九四八)の民法改正でこの語は廃止され、現行民法では「父が認知した子」と呼び、また認知を受けない子をも含めて「
嫡出でない子」と称する。
そ‐し【庶子】
〘名〙
① 庶出の子。正妻でない女から生まれた子。しょし。
② 嫡子以外の実子。あととり以外の子の総称。しょし。
※高野本平家(13C前)五「群弟庶子(ソシ)みな棘路にあゆみ」
※中華若木詩抄(1520頃)上「王の子孫なれとも、庶子
(ソし)
領とわかるるに因てこそ如此なり」
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庶子
しょし
家族制度上の用語。古くは「そし」ともいった。律令制においては,庶子は,嫡子 (ちゃくし) に対応するものとして使用されている。したがって,それは,家相続人以外の男子,嫡妻の長子以外の男子,妾の男子の3様の意義を有している。第1の意義の庶子は,大宝,養老の制においては,嫡子に罪疾ある場合に,これに代って選定を受ける地位にあり,また,嫡子よりもいささか劣るが,財産相続権も認められていた。中世における庶子の意義は,律令制におけるそれと同じく多義であった。しかも,この頃においては,惣領支配下の家々の当主もまた庶子と称されたから,その意義はさらに複雑になった。家相続人以外の諸子を意味する庶子の地位は,単独相続が一般化し,かつ取立て嫡子のことも少くなった室町時代以降,すこぶる劣悪化し,江戸時代においては,いわゆる「冷や飯食い」といわれる家長の扶持人に下落した。民法の旧規定では父の認知した私生子を庶子といった。現行民法規定では庶子の名称は廃され,非嫡出子がこれにあたる。
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庶子
しょし
法律上の結婚をしていない女性の生んだ子を父が認知した場合に、父に対してその子を庶子とよび、家督相続では嫡出の女子に優先する地位にあったが、第二次世界大戦後の民法改正によってこの名称は廃止された。現行民法ではこれに相当する呼称はなく、あえていうならば「父によって認知された嫡出でない子」である。
[高橋康之]
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デジタル大辞泉
「庶子」の意味・読み・例文・類語
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庶子【しょし】
婚姻外の子(私生子)を父が認知した場合に父に対してその子を庶子というが,民法改正(1942年)でこの名称は廃止された。現行民法はこれを〈父が認知した子〉という。→嫡出子
→関連項目関東公事
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しょし【庶子】
一般には,中国,朝鮮,日本の旧社会において一家の家督を嗣ぐ嫡子に対して,他の傍系一族員を呼ぶ場合の呼称である。また嫡妻(正妻)の子どもに対する庶妻の子どもたちという意味も存在する。しかし庶子の語は歴史上,異なった意味をもって使用されてきたことに注意しなければならない。なおヨーロッパ社会でも日常語として〈嫡出でない子〉,あるいは私生子(私生児)を指す語があるが,日本の家制度上の特殊な意味・内容が与えられた〈父親に認知された私生子〉という意味での庶子に対応するものではない。
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世界大百科事典内の庶子の言及
【惣領】より
…中世武家の家財産は分割相続によって男女を選ばず子に配分されたが,そのうちの主要部分を継承した男子を惣領と呼び,他の男子を庶子と呼ぶ。惣領は必ずしも長子から選ばれるのではなく,〈器量〉といってその能力により家を代表し,庶子や女子の相続所領についても関与した。…
【惣領制】より
…中世武士は分割相続制をとっており,財産の中核部分は諸子のうちでももっとも能力(器量)があるとみなされた男子に譲られて,これが惣領といわれた。残りの所領は惣領以外の庶子・女子に譲られ,彼らはその所領を得て独立した生活を営んだ。しかしまったく独立していたわけではなく,戦時には庶子は惣領の下に集まって戦闘集団を形成し,平時には惣領の主催する祖先の供養や家の祭祀を通じて精神的結びつきをもった。…
【妾】より
…江戸時代,とくに武家社会では,家の継承者として男系子孫を得ることが強く望まれていたから,正妻に男子が生まれない場合は,養子による方法もあったが,めかけによって得ようとすることがしばしば行われ,これは儒者によって倫理的にも肯定されていた。明治になって種々の推移はあったが,法的にめかけは妻と同じ夫の2親等としてあつかわれたとか,戸籍に記載されたり,めかけの生んだ子を父が認知すれば庶子となり,庶出男子は嫡出女子に優先して家督相続ができたというように,直接,間接にめかけの存在は認められた。一般の民俗においては,養子制度の発達もあって,めかけは特殊な存在であった。…
※「庶子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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