材木町分
ざいもくまちぶん
[現在地名]会津若松市城西町・材木町二丁目・桜町・門田町日吉・門田町飯寺
東は南町分、西は飯寺村、南は徳久村、北東は若松城下の材木町に接する若松町分の一つで、東黒川に属する。材木町に続くところより材木町分という。貞享二年(一六八五)の「会津郡東西黒川分覚書」では高七五三石余で、肝煎二・地首二・小走二がいた。文化一五年(一八一八)の村日記では高八八七石余。化政期の総家数は一五〇で、その内訳は七七軒が材木町の南に続き、生業は「多く胡桃を剥て他邦に」売出し、寛政二年(一七九〇)に開いた新屋敷は六軒、ここは現在門田町日吉字笊籬田である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報