李全(読み)りぜん(英語表記)Lǐ Quán

改訂新版 世界大百科事典 「李全」の意味・わかりやすい解説

李全 (りぜん)
Lǐ Quán
生没年:?-1231

中国,山東省濰県の農民出身で,金末の反乱集団の首領。剛勇でよく鉄鎗(槍)を操ったので李鉄鎗と称せられた。1210年(嘉定3)に始まるモンゴルの侵入で首都防衛の自信を失った金国が中都(河北省北京市)を捨てて汴梁(べんりよう)(河南省開封)に遷都(貞祐南遷)してより以後,河北全域(河北・山西省)では治安が乱れ,各地に自衛をかねた盗賊集団が発生した。特に山東は金国の弱体化に乗じて南宋が企てた故地回復の目標となって複雑な様相を呈するが,この間にあって李全は,金国の討伐にあって敗死した巨酋楊安児の余党を統率するその妹楊妙真(楊姑々)を娶って勢力の増強を図りつつ,金,宋,モンゴル3国に降服・背反を繰り返した。山東随一の勢力となった李全は終に中国最大の淮塩(わいえん)生産地の略取を企てて楚州(江蘇省淮安),泰州(泰県),揚州(江都県)に進出した結果,南宋と対決することとなり,1231年(紹定4)趙范・趙葵兄弟の守備する揚州を攻めて敗死する。余衆は女酋楊妙真に率いられて山東に逃帰し,モンゴルに投降して余勢を保った。元朝支配下で李全の息子李璮(りたん)は漢人世侯となるが,後に元朝に反した(李璮の乱)。
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世界大百科事典(旧版)内の李全の言及

【李璮の乱】より

…李璮は山東省濰県の人,字は松寿。父李全は,13世紀初頭以来のモンゴルによる金国侵入がもたらした擾乱(じようらん)の間に起こった盗賊集団の首領から身を興し,金,モンゴル,南宋3勢力の交錯する間に巧みに介在して山東随一の勢力を築いた。のち勢力を過信するの余り南宋を侵して揚州に敗死する(1231)。…

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