本町二丁目(読み)ほんちようにちようめ

日本歴史地名大系 「本町二丁目」の解説

本町二丁目
ほんちようにちようめ

[現在地名]中央区日本橋室町にほんばしむろまち二―三丁目

本町一丁目の東に続く両側町。北は金吹かねふき町・本石ほんごく町二丁目・本石町十軒店ほんごくちようじつけんだな、南は本革屋ほんかわや町・室町三丁目。安永三年小間附町鑑によれば京間一二〇間半の公役を負担。名主は本町一丁目などと同じ。町年寄樽屋藤左衛門(寛政二年樽姓を許される)の役宅と枡座があり、樽屋は極印をもって東国三十三ヵ国の枡を管理した(撰要類集)呉服師茶屋四郎治が天正(一五七三―九二)の町割後に居住しており、寛永江戸図には南裏に「茶屋」とある。

本町二丁目
ほんまちにちようめ

[現在地名]鳥取市本町二丁目・片原かたはら一―二丁目

片原一丁目南西裏に並行する道筋に沿う両側町で、北西端は智頭ちず街道。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち上構二〇町の一町として起立された。寛永一一年(一六三四)の竈数一八(因幡志)。安永七年(一七七八)の家数七一、表口間数合せて一三三間、諸役免除の彫物師後藤喜兵衛・鞘師市浦茂三郎らの屋敷が計一五間半を占め、残る一一七間半で町役六〇人余を負担、賦課比率の等級は下に定められている。享保九年(一七二四)まで町会所(町御用場)があった。正徳二年(一七一二)には火災時の町会所火消担当を割当てられている(町方御定)

本町二丁目
ほんまちにちようめ

[現在地名]東区本町二丁目

本町一丁目の西にある両側町で、八百屋町やおやまち筋から難波橋なにわばし筋まで。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図町名がみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数四一・役数四九役で、うち惣年寄分・町年寄分・会所分の各一役が無役。町年寄は布屋九右衛門。惣年寄は吉文字屋三郎兵衛(三郷惣年寄家筋書「大阪市史」所収)。延享版「難波丸綱目」によれば、当町の古手仲買は本町組に属し、当町で一組一町の行事を置いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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