木綿問屋(読み)もめんどんや

世界大百科事典 第2版 「木綿問屋」の意味・わかりやすい解説

もめんどんや【木綿問屋】

近世以降,木綿織物を扱った問屋商人木綿が日本で織り出されるようになったのは,15世紀末~16世紀中葉といわれるが,江戸時代に入って広く庶民層にまで衣料として利用されたことから,これを扱う商人たちも多くなり,問屋群が集散地に生成した。近世前期には生産地荷主と諸国の注文主との間を仲介し,木綿荷物の引受け・管理・保管にあたり,口銭(こうせん)と蔵敷料(くらしきりよう)を受け取る荷受問屋(にうけどんや)が主体であったが,中後期には自己資本でもって生産地から仕入れ,染色などの加工をほどこして仲買・小売商に販売する仕入問屋が木綿流通の重要なとなった。

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精選版 日本国語大辞典 「木綿問屋」の意味・読み・例文・類語

もめん‐どんや【木綿問屋】

〘名〙 木綿を取り扱う問屋。
※財政経済史料‐一・財政・雑税・工商税・文化六年(1809)六月五日「冥加上金次第抄 〈略〉一金千両也 木綿問屋四拾四人」

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世界大百科事典内の木綿問屋の言及

【河内木綿】より

… 河内木綿は農家の副業として製織され,各地へ積み送られた。大坂の木綿(毛綿とも書いた)問屋を通すのが通常であって,大坂には諸国産の木綿織を取り扱う木綿問屋や仲買が多数存在した。1780年(安永9)には江戸組10人,北組23人,東堀組20人,上町中買組50人,油町組43人,堺筋組20人,天満組43人などであった。…

【三河木綿】より

…しかし700年後の1510年(永正7)には奈良で三河木綿の名が見えるのをはじめ,京都の貴族にも贈答品とされるなど,特産品としての名をはせている。 江戸初期のことは不確実だが,徳川家康が三河の出であったことから,江戸大伝馬町の木綿問屋も三河出身者に開かせたとの伝承もある。また17世紀中ごろに三河矢作(やはぎ)の商人が同地方の木綿を買い集め,江戸に送るルートが確立したともいう。…

※「木綿問屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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