木場町(読み)きばちよう

日本歴史地名大系 「木場町」の解説

木場町
きばちよう

[現在地名]江東区木場二―五丁目

深川築地二四ヵ町の一。深川木場ふかがわきば町とも称した。四方を川に囲まれ、西は入船いりふね町・島田しまだ町・長門山口藩松平(毛利)家町並屋敷、北は茂森しげもり町・おうぎ町。同町との間に亀井かめい橋が架かる。東は平野ひらの川を隔て葛飾郡西葛西にしかさい平井ひらい新田、六万坪ろくまんつぼ町・肥後熊本藩細川家町並屋敷、南は同じく平野川を隔てて洲崎すざきに接し、洲崎弁才天との間に江島橋が架かる。文政町方書上によれば、元禄一四年(一七〇一)一五名の材木問屋幕府に願出て築立地を買請け、四方土手を築くなどの整備を行い町屋とした。同一六年木置場であったところから木場町と唱える。

木場町
きばまち

[現在地名]米沢市木場町・成島町なるしままち一丁目

成島町さんノ町の一筋西の道の両側に配置された下級家臣屋敷町。享保一〇年(一七二五)城下書上によれば町の長さ四町二八間・道幅三間・屋敷数五二・御用屋敷二。ただし川岸なりとみえる。ほかに長さ一町二一間・道幅一間・屋敷数七の当町裏町がある。同年の城下絵図によると鬼面おもの川から当町を経て番正ばんしよう町につながる水路(木場川)が開掘されており、木場川沿いの成島町・成島町なか町の南端部に材木蔵と薪揚場がみえる。

木場町
きばちよう

昭和一九年(一九四四)一月に成立した現在の苫小牧市の町名。苫小牧市の中心部の北に位置する。町名の由来は、王子製紙苫小牧工場の貯木場があることによる。もとは苫小牧町大字苫小牧町・大字緑町みどりまち・大字山手町やまてちようの各一部で、昭和一九年の大字廃止字名改称により、苫小牧町木場町として成立(「苫小牧町字地番整理調書」苫小牧市立中央図書館蔵)。同二三年市制施行により苫小牧市木場町となり、同五七年の住居表示実施で一―四丁目を設定し、一部を緑町二丁目に移し、清水しみず町の一部を編入した(住居表示新旧対照表)。第二次世界大戦前は王子製紙の貯木場と岩倉組木工場のほかはわずかな人家があるだけだったが、昭和四二年岩倉組が苫小牧港臨海部に移り、同四八年長崎屋苫小牧店がオープンし、同五二年から木場町土地区画整理事業が実施された。

木場町
きばちよう

[現在地名]兵庫区本町ほんまち一―二丁目

木戸きど町の南、山陽道に面する岡方の町。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)に町名がみえ、屋敷地一五筆。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報