朝鮮休戦会談(読み)ちょうせんきゅうせんかいだん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝鮮休戦会談」の意味・わかりやすい解説

朝鮮休戦会談
ちょうせんきゅうせんかいだん

1951年7月から2年にわたり断続的に行われた朝鮮戦争休戦に関する国連軍代表と中国,北朝鮮両軍代表の会談。同年6月 23日のソ連の Y.A.マリク国連代表の提案がきっかけで,同年7月 10日から北緯 38度線近くの開城交渉が行われ,同年 10月から板門店で話合われた。その結果,52年3月までに軍事境界線,休戦後の政治会議などで合意ができたが,捕虜交換問題で行きづまり,同年 10月交渉は中断された。 53年4月から板門店で交渉が再開され,同年6月捕虜交換付属協定が成立し,7月 27日に休戦協定が調印された。国連軍側は約7万 7000人,共産軍側は約1万 2700人の捕虜を釈放した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「朝鮮休戦会談」の解説

朝鮮休戦会談
ちょうせんきゅうせんかいだん

朝鮮戦争終結のために1951年7月10日から開城で開かれた会談。国連軍・共産軍双方が出席して開かれたが,軍事境界線の設定と捕虜交換原則をめぐって紛糾し,その間会談場所は板門店(はんもんてん)に移された。53年3月のスターリンの死によって会談の雰囲気が変化し,53年7月27日,休戦協定が国連軍と北朝鮮軍・中国軍の間で調印された。韓国李承晩(りしょうばん)大統領は協定内容に納得せず,調印していない。

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