朝夷郷(読み)あさひなごう

日本歴史地名大系 「朝夷郷」の解説

朝夷郷
あさひなごう

古代の城飼きこう郡朝夷郷(和名抄)の名称を継承した中世の郷。文和二年(一三五三)三月九日の遠江守護今川範国書下(平田寺文書)に「朝夷郷内浅尾谷」とみえ、「浅尾谷」は当初、闕所地として勝田中務丞に預け置かれたが、平田へいでん(現相良町)領であったと確認されて、同寺長老に安堵されている。天文二〇年(一五五一)二月二三日の今川義元判物(中山文書)には「先年鼻連神田増分以朝比奈専念寺分雖令寄進」とあり、この「朝比奈」も当地と推測される。


朝夷郷
あさひなごう

和名抄」諸本にみえる郷名。東急本に「安佐比奈」、高山寺本に「阿左比奈」の訓がある。神護景雲四年(七七〇)八月二日の刑部広浜優婆塞貢進文(正倉院文書)に、優婆塞の名として「大湯坐部浄山年十七遠江国城飼郡朝夷郷戸主大湯坐部子根麻呂戸口」との記載がみえる。平城宮跡出土木簡(「平城宮木簡」一―四四九)に「×□朝夷郷石衣万呂」、同木簡(同書一―一九二)に「□朝夷□□進人道子」などとあり、遠江関係の荷札木簡とともに出土していることから、当郷に関する可能性が高い。


朝夷郷
あさひなごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。東急本に「安佐比奈」の訓がある。年代未詳の平城宮跡出土木簡(「平城宮木簡」一―四四九)にみえる「(郡カ)朝夷郷石衣万呂」は、当郷の可能性もある。


朝夷郷
あさひなごう

「和名抄」に「朝夷」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、今ノ河内郡根本村ニ、アサヒナト云ヘル坪名アリ(中略)コノ地ハ古ヘ信太郡ニ属シタレバ、朝夷郷タルコト明ナリ」とあり、現稲敷いなしき郡新利根村上根本かみねもと・下根本一帯に比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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