有井庄(読み)ありいのしよう

日本歴史地名大系 「有井庄」の解説

有井庄
ありいのしよう

山城石清水いわしみず八幡宮寺領。後述のように有井川ありいがわにあったとされているが確かではない。石清水八幡宮文書目録(石清水文書石清水璽御筥事裏文書)に「一通 治安三年十月五日、宮寺判申庄園別記事、(中略)土佐(中略)有井 柑子園(下略)」「一通 正治元年八月、船曳・有井庄等、雖検校入滅之後、可為後房沙汰之由、宮寺下文案」とみえ、保元三年(一一五八)一二月三日付官宣旨(石清水文書)には石清水八幡宮極楽寺領の一として「有井柑子園」があげられる。また寛喜三年(一二三一)四月二二日付石清水八幡宮寺供米支配状(榊葉集)の四月一日の条に「有井庄六石、庄斗定、一斗ハ同斗一斗五升六合延」とある。

有井庄
ありいのしよう

伊尾木いおき川流域一帯を荘域とした。荘名は、伊尾木川上流の古井の池こいのいけ大明神の応永一八年(一四一一)年号のある鰐口銘(蠧簡集木屑)に「安芸郡有井庄天拝山拝厨」とみえるのが早い。

暦応二年(一三三九)一二月、大高坂おおだかさ(現高知市)の合戦に南朝方として戦った有井又三郎(西岡家文書)は当庄の豪族といわれるが、荘園成立の時期・経過や領主などは明らかでない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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