最上小国街道(読み)もがみおぐにかいどう

日本歴史地名大系 「最上小国街道」の解説

最上小国街道
もがみおぐにかいどう

羽州街道舟形ふながた宿(現舟形町)からほぼ最上小国川に沿って東へ進み中山なかやま峠を越えて陸奥国に入り、奥州街道の吉岡よしおか宿(現宮城県黒川郡大和町)に通じる。水戸街道尿前しとまえ越ともよばれ、仙台藩領(陸奥)側では出羽街道(「御勝手帳」内閣文庫蔵)とか中山越、新庄藩領では堺田さかいだ越・鳴子なるこ街道などとも称した。現在の国道四七号(北羽前街道)とほぼ合致する。最上小国川沿いの道は陸羽連絡路として古くから開かれていたと考えられ、「義経記」巻七(亀割山にて御産の事)では奥州平泉へ下向する源義経の一行亀割かめわり山を越えており、瀬見せみ(現最上町)付近から最上小国川沿いに陸奥へ向かったと思われる。

宝暦七年(一七五七)以前の様子を伝えていると思われる新庄領内絵図(新庄市教育委員会蔵)では舟形宿から最上小国川南岸に沿って北東に向かい、長沢ながさわ(現舟形町)本郷を経て同村枝郷の羽場はば(幅)を過ぎ大堀おおほり(現最上町)枝郷の瀬見に入る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報