智蔵(中国)(読み)ちぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「智蔵(中国)」の意味・わかりやすい解説

智蔵(中国)
ちぞう
(458―522)

中国、梁(りょう)代の学僧。本名は浄蔵。住した寺の名から開善(かいぜん)とも称する。法雲僧旻(そうみん)とともに、梁の三大法師の一人。俗姓は顧(こ)氏。呉(ご)郡(江蘇(こうそ)省蘇州)の人。16歳(一説に6歳)のとき、宋(そう)の明(みん)帝(在位465~472)のかわりに出家して興皇(こうこう)寺に住し、僧遠(そうおん)(414―484)や僧祐(そうゆう)らに師事し、僧柔(そうじゅう)(431―494)、慧次(えじ)(434―490)の二師にも従う。南斉(なんせい)の文憲王公の知遇を得、文宣王(蕭子良(しょうしりょう)。460―494)の『維摩経(ゆいまぎょう)』の講席に招かれて名をあげる。また会稽(かいけい)で学徒を教授し、律部を研究し、500年にふたたび会稽の法華(ほっけ)山に住して教化した。梁の武帝(蕭衍(しょうえん))は、鐘山(しょうざん)の保誌(ほうし)(宝誌。418/425―514)禅師墓前に開善寺を建てて住持させた。帝の菩薩(ぼさつ)戒の戒師となる。『成実論大義記(じょうじつろんたいぎき)』などを著した。

[伊藤隆寿 2017年3月21日]

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