是則村(読み)これのりむら

日本歴史地名大系 「是則村」の解説

是則村
これのりむら

[現在地名]中津市是則

大貞おおさだ台地中央部の海岸寄りに位置し、西は全徳ぜんとく村、南は助部すけべ村。宝治元年(一二四七)一〇月一七日の関東御教書案(永弘文書)に「豊後国御家人富来又次郎申、大和壱岐入道昇蓮被押領野内是則名田畠事」とあり、地頭が入部している。文明一二年(一四八〇)一月二二日同名内の池のおもて八反を、今永蔵人宮道が永弘氏から請負っている(「永弘氏輔定文案」同文書など)。陰陽師是則氏は永正五年(一五〇八)永弘氏から本自見ほんじみ名門田三反余を担保として預かっていたが、永禄二年(一五五九)になって是則(大神)鎮勝・兄宗盛が、時弘ときひろ名下作職のことで公儀より生害され断絶したために永弘氏へ返還された(同年正月日「永弘通忠書状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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