昭和村(読み)しようわむら

日本歴史地名大系 「昭和村」の解説

昭和村
しようわむら

面積:二〇九・三四平方キロ

郡の最南端に位置し、南東から南西は白沢しらさわ山・吉尾よしゆう峠・鎌倉かまくら山・三階さんがい山・転石ころぶし峠・三引みつひき山など標高一〇〇〇メートル級の連山で南会津郡と境を分ち、東から北東は博士はかせ山で会津高田あいづたかだ町・河沼郡柳津やないづ町、北は志津倉しづくら山で三島みしま町、馬追まおい山・大妻おおつま山で金山かねやま町と接する。村のほぼ中央を野尻のじり川が西流し、野尻・中津川なかつかわ周辺に広大な氾濫沖積原を形成する。野尻川に沿って国道四〇〇号(旧田島街道)が走り、喰丸くいまる地内で国道四〇一号(旧金山郷街道)と交差する。また近世の宿駅野尻地内で県道宮下みやした小林こばやし(旧銀山街道)と交差する。

昭和村
しようわむら

面積:六三・七一平方キロ

利根郡東部の南西端に位置し、北は片品かたしな川、西は利根川を境に沼田市、南は勢多せた赤城あかぎ村、東は利根村。村域の大部分赤城山北西麓の高原地帯で、東西約一〇・八キロ、南北約九・八キロの扇状の形態をなし、標高は一四六一メートルから二六〇メートル。集落は片品川左岸および利根川左岸に形成される。沼田街道が利根川左岸を通り、現在も主要交通路である。耕土は平均三〇センチから五〇センチであり地域の大部分が火山灰土である。江戸時代には六村があり勢多郡に所属。明治一一年(一八七八)北勢多郡となり、同二二年の町村制施行で久呂保くろほ村・糸之瀬いとのせ村が成立、同二九年利根郡に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「昭和村」の意味・わかりやすい解説

昭和〔村〕
しょうわ

福島県西部,只見川の支流,野尻川の上流部を占める豪雪地帯の村。 1927年大芦 (おおあし) 村と野尻村が合体して成立。農林業が主産業で,カスミソウなどの花卉栽培も行われる。特産物の越後上布 (からむし織り) の原料になるイラクサ科の一種カラムシは,江戸時代から栽培されている。天然記念物の駒止 (こまど) 湿原や博士 (はかせ) 山のブナの原生林がある。面積 209.46km2。人口 1246(2020)。

昭和〔村〕
しょうわ

群馬県中部,赤城山北西斜面にある村。 1958年久呂保村と糸之瀬村が合体して発足。片品川左岸の河岸段丘に森下,貝野瀬などの集落がある。赤城山の緩斜面は第2次世界大戦後開拓されて,畑地灌漑用の設備が整えられ,キャベツ,ハクサイ,レタスなどの野菜栽培や酪農に利用されている。面積 64.14km2。人口 6953(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「昭和村」の解説

昭和村

(群馬県利根郡昭和村)
日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
昭和村は、群馬県の北部、新潟県境の利根郡に位置する。生産量日本一を誇るこんにゃくをはじめ、多くの野菜が栽培されている。養蚕民家や史跡など、歴史的な資源を有する

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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