明治6年の政変(読み)めいじろくねんのせいへん

山川 日本史小辞典 改訂新版 「明治6年の政変」の解説

明治6年の政変
めいじろくねんのせいへん

1873年(明治6)いわゆる征韓論問題をめぐって政府が分裂した政変。明治維新後,政府は朝鮮に国交樹立を求めたが,鎖国政策をとる朝鮮は日本の態度を不満とし開国に応じなかった。そこで政府は,西郷隆盛を朝鮮に派遣して交渉にあたり,拒否されれば武力行使も辞さないとする強硬方針(征韓論)を打ちだした。しかし73年欧米視察から帰国した岩倉具視(ともみ)・大久保利通(としみち)・木戸孝允(たかよし)らは,国内改革の優先を主張して強く反対した。結局同年10月,西郷遣使は中止となり,西郷・板垣退助後藤象二郎江藤新平副島種臣(そえじまたねおみ)の5参議は辞任した。政変は国内政治における政府内部の対立を反映していた。政変後,政府は大久保利通を中心に政府を建て直し,国内改革を進めた。

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明治6年の政変【めいじろくねんのせいへん】

1873年に起きた,政府内部が分裂した政変。征韓論を主張する西郷隆盛や板垣退助らと,欧米視察から帰国しあくまでも内治優先を主張する大久保利通や木戸孝允らとが激しく対立し,征韓派は敗れて政府を去り,大久保を中心とした政権が確立する結果となった。その後の自由民権運動の広がりや,西南戦争はじめ各地で発生した不平士族の反政府反乱のきっかけともなった。

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