明戸村(読み)あけとむら

日本歴史地名大系 「明戸村」の解説

明戸村
あけとむら

[現在地名]猪苗代町八幡やはた

内野うつの村の西、南流する長瀬ながせ川の東岸平地に位置する。古くは悪戸あくと村と称していたが、寛文年中(一六六一―七三)に明戸に改めたという(新編会津風土記・耶麻郡誌)。川東組に属した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では猪苗代郡のうちに悪津とみえ、高一一九石余。享保三年(一七一八)には高一八六石余、家数一九、男四九・女四八、馬一二、天明六年(一七八六)には高一五三石余、家数一六、男三三・女三一、馬一〇(「留帳」小林家文書)。「新編会津風土記」では家数一〇。

明戸村
あけとむら

[現在地名]川本町明戸

瀬山せやま村の南に位置し、東は大里郡川原明戸かわらあけと(現熊谷市)。村内北部を東西に秩父往還が通る。南は荒川が流れ、土手沿いに奈良なら用水の導水路がある。田園簿では高七四石余はすべて畑で、旗本水野・大久保の二家の相給。天和二年(一六八二)知行替えにより水野領は幕府領となる。宝暦六年(一七五六)大久保氏に継嗣がなく、知行地は収公されてすべてが幕府領となる(以上「寛政重修諸家譜」)。「風土記稿」による家数二二。天保元年(一八三〇)忍藩領となり(忍藩新領高覚書)幕末に至る。

明戸村
あけとむら

[現在地名]深谷市明戸

小山こやま川と丈方じようほう(福川)に挟まれた沖積低地に位置し、西は榛沢はんざわ上敷免じようしきめん村、北は新井あらい村。領名は未詳(風土記稿)。「郡村誌」によると元和(一六一五―二四)悪戸村と称し、宝永五年(一七〇八)に阿久戸、元文二年(一七三七)明戸に改めたとするが、元禄郷帳に悪戸村とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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