朝日日本歴史人物事典 「早速整爾」の解説
早速整爾
生年:明治1.10.2(1868.11.15)
明治大正期の政党政治家。安芸国(広島県)沼田郡新荘村に武士中山源蔵,くまの子として生まれる。広島県広島中学校に入学したが,16歳で無断で上京,恩師田原栄の書生となって東京専門学校(早大)に入学し政治家を志す。在学中にすでに『芸備日報』(のち『芸備日日新聞』)に寄稿し,それが縁で明治22(1889)年同社に入社,社主早速家の養子となり,また主筆ともなり,同社の発展に尽くす。彼は「経済は政治なり」との信念で紙面においても派手な社会問題より地味な経済問題を重視し,自らも実業方面で活躍した。その後,広島県会議員,広島市会議員を経て35年衆院議員に無所属で当選,島田三郎や同県の花井卓蔵らと政界革新同志会を組織するなど急進派として活動する。大正5(1916)年衆院副議長に当選,6年憲政会に入党,14年農林大臣,15年大蔵大臣となる。放蕩な青年時代であったが,その後の努力と友誼に厚い性格で大臣にまでなった。<参考文献>湊邦三『早速整爾伝』
(季武嘉也)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報