日高山城跡(読み)ひだかやまじようあと

日本歴史地名大系 「日高山城跡」の解説

日高山城跡
ひだかやまじようあと

[現在地名]北条市中村

なか村の中心部より約一キロ南方茶臼ちやうす山にあり、通称は茶臼山城跡

南北朝時代の貞治年間(一三六二―六八)重見十郎左衛門通宗が拠って以来、天正一三年(一五八五)までほぼ重見氏が城主であった。後裔は小山田おやまだ村に住み代々庄屋を勤めたが、「伊予温故録」によると、その家伝に

<資料は省略されています>

と記されている。

河野一族中氏系譜によると、応永二二年(一四一五)重見通勝は主君河野通之と争い、これを御幸寺みきじ(現松山市)で敗死させたが、通之の子通元のため日高山城を落され自殺した。しかしその後も重見氏は日高山城主であったと推定され、河野系図(天徳寺本)によると、一六世紀半ば頃河野家に謀反の疑いがあるとして、村上通康に討たれた重見通種の弟通次が日高山城主となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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