日野原節三(読み)ひのはら せつぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日野原節三」の解説

日野原節三 ひのはら-せつぞう

1903-1991 昭和時代の経営者。
明治36年11月3日生まれ。昭和化成など数社の社長歴任戦後,日本水素工業社長をへて,昭和22年森暁(さとる)社長らが公職追放された昭和電工社長となる。23年復興金融金庫融資をめぐる贈収賄事件の昭電疑獄で逮捕され,芦田内閣崩壊の原因をつくった。のち八幡鉱業会長。平成3年死去。98歳。山梨県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の日野原節三の言及

【疑獄】より

…〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。…

【昭電疑獄】より

…昭和電工は森コンツェルンの重要な総合的化学工業会社であったが,戦災のため中心の川崎工場が壊滅的な打撃を受けた。また戦後の財閥解体を利用した芦田均らの策動により,社長が森暁から日野原節三に代わった。日野原は会社の再建と拡充のため復興金融金庫から巨額の融資を受け,その額は48年6月までに約23億6000万円,化学工業関係企業への融資の36%を占めた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」