日満支経済ブロック(読み)にちまんしけいざいぶろっく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日満支経済ブロック」の意味・わかりやすい解説

日満支経済ブロック
にちまんしけいざいぶろっく

日中戦争下、日本を中心に満州(中国東北地区)、中国華北を含めたブロック経済圏の形成を目ざした日本支配層のスローガン。1936年(昭和11)8月に政府決定となった「国策の基準」と「第二次北支処理要綱」によって国策として確定された。満州事変後に日満経済ブロックを形成した日本は、1935年華北分離工作を展開、華北を含めた日満支経済ブロックへと拡張を策した。この拡張の目的は、日満では充足できない鉄、石炭、塩などの重要国防資源の確保にあった。そのため日本は、圏内各地で円系通貨を発行し、円ブロックの成立基盤物資獲得を図った。しかし、円系通貨は物資の裏づけを欠いていたため価値を維持できず、インフレ激化とともに中国人民の抵抗もあって資源確保にも失敗した。そのため日本は、東南アジアへの侵略、「大東亜共栄圏」形成へとブロック経済拡大を試み、太平洋戦争へと突入することになった。

[風間秀人]

『小林英夫著『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』(1975・御茶の水書房)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日満支経済ブロック」の解説

日満支経済ブロック
にちまんしけいざいブロック

日中戦争期に,日本,満州,華北・華中の占領地を統括して形成された排他的・閉鎖的経済体制。1932年(昭和7)日本は満州国建国,幣制の統一資本輸出・産業開発を推進して,日満経済ブロックの形成を試みた。37年7月の日中戦争勃発後,日本軍は華北・華中の主要都市を占領,38年末に東亜新秩序建設声明を発して,経済ブロック構想を日満支へと拡大させた。北支那開発・中支那振興の国策会社設立と興亜院設置によって,占領地支配を強化し,ブロック経済の振興を図ったが,軍需物資のブロック外からの輸入の必要性,そのための外貨の必要性からブロックむけ輸出を制限せざるをえず,ブロック経済は確立できなかった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「日満支経済ブロック」の解説

日満支経済ブロック
にちまんしけいざいブロック

昭和戦前期,日本・満州国・中華民国を中心に経済共同体を建設しようとするプラン
満州事変(1931〜33)以来,日本の対満投資額や満州移民が急激にふえ,世界恐慌('29)後のブロック経済の構想に刺激されて,日中戦争勃発後,アジアのブロック経済建設が計画された。'40年,日満支経済建設要綱が決定され,日本植民地・占領地に戦時統制の機構整備・重要物資開発・軍需工業発展をめざしたが,プランは実現されなかった。

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