日清講和条約

山川 日本史小辞典 改訂新版 「日清講和条約」の解説

日清講和条約
にっしんこうわじょうやく

1895年(明治28)4月17日に調印された日清戦争の講和条約下関で調印されたことから下関条約ともいう。清国は95年3月李鴻章(りこうしょう)を全権に任命し,下関で講和交渉が開始された。3月24日の交渉の帰途,李鴻章が日本人に狙撃され負傷したため,日本側は列国干渉をおそれてまず休戦条約を調印。4月10日日本側は当初案から大幅に譲歩した最終案を提出し,4月17日に日本側全権伊藤博文,陸奥(むつ)宗光と清国側全権李鴻章・李経方(りけいほう)との間で調印された(5月8日批准書交換,13日公布)。内容は,朝鮮の独立の承認,遼東半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島割譲,賠償金庫平(こへい)銀2億両(約3億円)の支払い,通商航海条約の締結と最恵国条款の確立,沙市・重慶・蘇州・杭州の新規開市と,開市・開港場における製造業従事,条約施行の担保として威海衛(いかいえい)の一時占領の承認など。この条約により日本は植民地を獲得したが,三国干渉を招き遼東半島を清国に返還した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「日清講和条約」の解説

日清講和条約(にっしんこうわじょうやく)

下関(しものせき)条約

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