新福寺(読み)しんぷくじ

日本歴史地名大系 「新福寺」の解説

新福寺
しんぷくじ

[現在地名]佐原市香取

香取神宮の南方、東関東自動車道の佐原香取インター入口の北西にある曹洞宗寺院。神徳山と号し、本尊は十一面観音金剛宝こんごうほう(神宮寺)惣持そうじ院とともに香取社奉仕の寺であった。金剛宝寺に対して「新寺」とも称された。応保二年(一一六二)六月三日の大禰宜実房譲状(香取文書)に「新寺(施カ)入畠」とみえる。神主広房の曾祖父大中臣真平が氏人の無事成長を願って十一面観音像の造立を祈願したところ、香取社の湊に巨木が打寄せられ、その木から一間四面の堂(新寺観音堂)と観音像を造立したという。この新寺観音堂は当寺をさすといわれる。その後仏餉灯油田などの料田を充て置き、永久四年(一一一六)には香取社神官の連署を得、寛治四年(一〇九〇)頃に国司免判を得て以降、国司地頭の妨げなく知行してきた。しかし元久二年(一二〇五)から地頭国分胤通が料田を押領したと訴え、建永二年(一二〇七)認められている(同年一〇月日「関白前左大臣近衛家実家政所下文案」同文書)

文永六年(一二六九)三月に常陸国の法雲大広のために神徳山新福禅寺を創建し、十一面観音像を本尊として安置し(同九年「新福寺縁起」香取文書)、文永八年二月に初めて世尊寺行能の子息経朝が書いた「新福寺」の寺額を下されたという(同九年三月一五日「阿闍梨行宣置文」同文書)

新福寺
しんぷくじ

[現在地名]西区名塚町二丁目

稲生山と号し、天台宗。本尊薬師如来。寺伝によれば、天平年中(七二九―七四九)聖武天皇が行基に勅して創建させたという。

往古大伽藍で、一山一二坊があり、堂舎も多くあったが、いつしか破壊され衰微していたものを天文一二年(一五四三)に勝行坊祐憲が中興した。大般若経の箱の蓋に「新福寺両年行事常住坊・蔵泉坊 天正十七極月吉日」とあった(尾張名所図会)

新福寺
しんぷくじ

[現在地名]下関市大字楠乃

いちみやの北西部に位置する竜王りゆうおう山南麓にある。臨済宗東福寺派で竜王山と号し、本尊は十一面観音。

寺伝によれば、鎌倉時代、長門守護佐々木四郎高綱の創建と伝えられるが、大永七年(一五二七)の火災で記録を焼失して詳細は不明。至徳年間(一三八四―八七)長福ちようふく(現功山寺)第三世全璧志藺を開山として再建したといわれ、長福寺の末寺であったが、のち日頼にちらい寺の末寺となった。

新福寺
しんぷくじ

奈良市東九条とうくじよう町の北西にあったとされる寺。「大乗院寺社雑事記」応仁二年(一四六八)閏一〇月一七日条に「新福寺号東ノ寺、同辰市ニ在之、同尼衆寺也。僧衆各十五人在之云々」とあり、辰市たついち(西九条・東九条・杏・八条)の西寺(正法寺)に対する東寺で、ともに法華ほつけ(現奈良市)末の尼寺であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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