新月布村(読み)しんつきぬのむら

日本歴史地名大系 「新月布村」の解説

新月布村
しんつきぬのむら

[現在地名]大江町月布つきぬの

月布川中流北岸の河岸段丘上にあり、主として集落西部の新坂しんさか高野こうや住居があった。北は大鉢おおばち村。本月布もとつきぬの村と一村をなす。最上氏領から元和八年(一六二二)幕府領となり、寛永元年(一六二四)郷替えにより左沢藩領、同八年幕府領庄内藩預地、翌九年庄内藩領、慶安二年(一六四九)松山藩領となる。天明五年(一七八五)より三年間幕府領となるが、同八年松山藩領に復し、以後幕末まで続く。正保郷帳では田方八三石余・畑方三二石余。慶安二年の左沢山里苅田畠寄帳(寒河江文書)では田八三石余・畑二一石余・屋敷一〇石余・青苧代米三石余、屋敷一三軒。天明七年の松山藩左沢領村々大概書(松山町教育委員会蔵)では高一一六石余、うち新田六斗余、田四町一反余・畑二町六反余、家数一五・人数五五、馬五、農間に男は薪取、女は太布を織り、青苧を作り出す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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