新大石田村(読み)しんおおいしだむら

日本歴史地名大系 「新大石田村」の解説

新大石田村
しんおおいしだむら

[現在地名]大石田町大石田 二丁目にちようめ井出いでなど

江戸時代初期の大石田村から大石田四日おおいしだよつか町・大石田本おおいしだほん町・大石田新おおいしだしん町が分立して、最後に残った大石田村をさす。明治三年(一八七〇)新大石田村を公称とした。大石田四村のうち中央西部に位置し、最上川に面する。延享三年(一七四六)まで山形藩領。宝永七年(一七一〇)の御巡見様一件帳(二藤部文書)によると高六五二石余(うち枝郷井出村三二九石余)、百姓二一・名子水呑店借二六、人数一七七、酒屋二、馬五、舟数一六・道者船四。延享三年下総佐倉藩領(吉原陣屋支配)、さらに寛延二年(一七四九)肥前島原藩領(沼木陣屋支配)となる。宝暦一一年(一七六一)の御巡見様御案内覚帳(二藤部文書)によると高六五七石余(うち枝郷井出村高三七七石余)、反別田二三町一反余・畑二二町九反余、家数六九、うち百姓四一・名子二七・寺一、人数三一六、馬七、船数二一、うち五人乗四、四人乗一二、三人乗四、二人乗一。地蔵堂・八幡宮・禅宗普門ふもん寺があり、井出村の古館について「城主太田外記、知行五百石、此末孫奥州三春之御家中太田藤左衛門殿と申御仁有之由伝承ル」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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