新久村(読み)あらくむら

日本歴史地名大系 「新久村」の解説

新久村
あらくむら

[現在地名]入間市新久・狭山さやまはら

小谷田こやた村の西、加治かじ丘陵南麓にある。西は根岸小谷田ねぎしこやた村。中央をかつら(現霞川)が東流、南部を青梅道が東西に通る。加治丘陵を越えて高麗こま仏子ぶし村に至る険阻な坂道金子かねこ坂という。入間郡金子領に属した(風土記稿)。寛永四年(一六二七)一一月旗本市川茂左衛門(満友)は、高麗郡新久村一五七石余と同村開発地二〇石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。以後幕末まで市川領。字田安たやすには市川氏のものといわれる屋敷跡(二反余)があり、稲荷小祠(現市川稲荷)が祀られる(風土記稿)。田園簿には新ラ久村とあり、田八石余・畑一六九石余。検地は寛文一一年(一六七一)に行われ、三五町九反余(屋敷九反余・畑三四町九反余)、屋敷持六四名、名請人は六左衛門(五反余持)ほか六三名(「検地帳」貫井家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android