斎藤 義重(読み)サイトウ ギジュウ

20世紀日本人名事典 「斎藤 義重」の解説

斎藤 義重
サイトウ ギジュウ

昭和・平成期の美術家



生年
明治37(1904)年5月4日

没年
平成13(2001)年6月13日

出生地
青森県弘前市

学歴〔年〕
日本中学卒

主な受賞名〔年〕
今日の新人57年展新人賞〔昭和32年〕,日本国際美術展K氏賞(第4回)〔昭和32年〕「鬼」,日本国際美術展国立近代美術館賞(第5回)〔昭和34年〕「青の跡」,サンパウロ・ビエンナーレ展国際美術評論家連盟賞(第5回)〔昭和34年〕,現代日本美術展最優秀賞(第4回)〔昭和35年〕「作品R」,グッゲンハイム国際美術展国内賞・国際賞(第3回)〔昭和35年〕「作品R」,サンパウロ・ビエンナーレ展国際絵画賞(第6回)〔昭和36年〕,日本国際美術展国立近代美術館賞(第7回)〔昭和38年〕,朝日賞(昭59年度)〔昭和60年〕,横浜文化賞(第42回)〔平成5年〕

経歴
中学在学中から油絵を始めるが、文学に惹かれて一時制作を中断。大正9年に開催されたロシア亡命画家の展覧会に衝撃を受け、昭和8年頃から絵画制作を再開。ロシア構成主義やダダイスムなど前衛美術を独学して抽象的作品を描き、11年二科展初入選。13年吉原治良らと共に二科会の内部に前衛グループの九室会を結成。14年福沢一郎を中心にした美術文化協会の創立に参加し、彩色合板レリーフ「トロウッド」シリーズなどの作品を発表。28年同会を退会し、美術界から遠去かった。のちシュールの傾向から独自の非具象作風に移り、32年「鬼」が日本国際美術展K氏賞を受賞。以来、国内外で数々の賞を受賞。48年戦前の合板レリーフ作品を集中的に再制作し、反響を呼んだ。51年以降は素木の板を組み合わせたレリーフ状の作品を発表。53年からは同種の素材による幾何学的な立体作品も手がけた。同年東京国立近代美術館で現代美術家としては初の回顧展を開催。前衛美術の先駆者の一人として国内外で注目を集めた。また、39〜48年多摩美術大学教授を経て、57年東京芸術専門学校を設立、校長就任。幅広い自由教育風の薫陶によって多くの学生に大きな影響を及ぼした。他の代表作に「青の跡」「ペインティングE」「作品R」「やじろべえ」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「斎藤 義重」の解説

斎藤 義重 (さいとう よししげ)

生年月日:1904年5月4日
昭和時代;平成時代の洋画家;美術家。多摩美術大学教授
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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