救二院(読み)くにいん

日本歴史地名大系 「救二院」の解説

救二院
くにいん

鎌倉時代からみえる院。救仁院とも記される。中世史料には院内の地名として田浦たのうら尾之見おのみ(現松山町)伊崎田いさきだ野与倉のよくら(現有明町)安楽あんらく益蔵ますくら志布志夏井なついなどがみえるので、現在の志布志町・松山まつやま町と有明ありあけ町の菱田ひしだ川以東に比定される。田浦・尾之見・伊崎田・野与倉・志布志は条を付して表れるので、この条が基本単位であったと考えられる。

文治五年(一一八九)ないしは建久元年(一一九〇)と推定される五月九日付源頼朝御教書案(島津家文書)によれば、平家に与同したと思われる安楽平九郎為成から救二院地頭弁済使職が没収され、その兄救二院平八成直に安堵するよう島津忠久に命じられている。しかしその後まもなく(建久二年と推定される)救二院平成直は僧を殺害したかどで所職を没収され、その地頭職と弁済使職は忠久に帰した(一二月一一日「源頼朝下文案」同文書)。日向国建久図田帳には島津庄寄郡のうちに諸県もろかた郡の救二院九〇町がみえ、惣地頭は島津忠久である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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