懸塚湊(読み)かけつかみなと

日本歴史地名大系 「懸塚湊」の解説

懸塚湊
かけつかみなと

[現在地名]竜洋町掛塚

天竜川河口にあった湊。掛塚湊とも記す。禅僧万里集九の漢詩文集「梅花無尽蔵」に「懸塚」とみえ、文明一七年(一四八五)九月一五日、集九は太田道灌の招きにより江戸へ下る途中引間ひくま宿(現浜松市)に泊り、便風を待って船で東に向かい、翌一六日懸塚湊に着いた。翌日に駿河小河こがわ(現焼津市)に着きたかった集九は当地で五貫文を出して船を借り、一七日に出港したが逆風に遭い、船頭のなかにも船酔いするものがあったほどの強風であったため、一八日いったん懸塚湊に戻った。一九日になって順風が吹いたので、船酔いに懲りて歩いて行くことにした人々を降ろして、集九らは無事小河湊に着いた。「家忠日記増補追加」天文五年(一五三六)九月一〇日条に「欠塚」とあり、三河松平家の家督を継いだ広忠(徳川家康の父)は今川義元の計らいにより懸塚より三河国牟呂むろ(現愛知県豊橋市)に移っている。同一〇年一〇月四日、義元は城飼きこう高松たかまつ(現浜岡町)の造営材木を天竜川に流して当湊まで運ぶことを認めている(「今川義元朱印状」中山文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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