恒吉(読み)つねよし

日本歴史地名大系 「恒吉」の解説

恒吉
つねよし

中世からみえる地名で、大隅国小河おがわ院のうち。現大隅町恒吉に比定される。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)に「恒吉六丁並梁瀬名八丁」とみえる。応永一八年(一四一一)頃からは島津久豊の勢力下にあったとされ、永享四年(一四三二)には島津用久が「島津御庄大隅方恒吉内三町」などを山田忠尚に料所として宛行っており(同年一二月二四日「島津好久宛行状」山田文書)、同七年には改めて「小河院之内恒吉之村並花田平房五町」が忠尚に料所として宛行われている(同年六月二三日「島津好久宛行状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報