御影堂前町(読み)みかげどうまえちよう

日本歴史地名大系 「御影堂前町」の解説

御影堂前町
みかげどうまえちよう

下京区五条通寺町西入

東西に通る五条ごじよう(旧六条坊門小路)河原町かわらまち通の交差点北側の地。

平安京の条坊では、左京六条四坊三保一四町の地。平安時代初期、嵯峨天皇皇子である左大臣源融の別荘河原院かわらのいんの一部があった(拾芥抄)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には、現町名に類する「御堂前町」の名がみえる。町名は、この地南の御影堂みえいどう町に、天長年間(八二四―八三四)弘法大師開基といわれる御影堂(新善光しんぜんこう寺)があったことによる(坊目誌)。「京童」(明暦四年刊)には、この付近の状況が次のように記される。

<資料は省略されています>

また「京町鑑」(宝暦一二年刊)によると、この付近に扇を売る商人が住んでおり、御影堂扇として有名であったようだ。昔、平敦盛の妻がこの寺で尼となり蓮華陀尼と称し、阿古女扇を作っていたが、嵯峨天皇が病気になり、当時の住職祐寛が扇に呪文を封納して奉ったところ、天皇の病気が治ったという伝えがある。

御影堂前町
みえどうまえまち

[現在地名]敦賀市神楽かぐら町一丁目・ほん町一丁目

ひがし町の東南、気比けひ神宮と西方さいほう寺の間、三丁縄手さんちようなわて両側にできた気比宮の門前町。慶長三年(一五九八)七月の津内村検地帳(田保家文書)に「みへいたうまえ」とみえる。西方寺を御影堂とよぶことから町名が起こった(敦賀志)。寛文三年(一六六三)の家数九四、うち家持七二・貸屋二〇・寺二(寛文雑記)、享保一一年(一七二六)の家数一〇二(指掌録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android