御客屋跡(読み)うちやくやあと

日本歴史地名大系 「御客屋跡」の解説

御客屋跡
うちやくやあと

[現在地名]那覇市首里寒川町一丁目

首里城外西方に登城する薩摩鹿児島藩役人の控所として設置された施設。ウチャクヤとよばれた。寅賓館とも。首里古地図によると綾門大あいじよーうふ道の南側、安国あんこく寺の西隣に同寺の三分の二程度の敷地と御客屋の文字を確認できるが建物は描かれていない。北は綾門大道を隔てて中城なかぐしく御殿と相対する。間切集成図では御客屋の文字と建物が描かれている。首里城図(沖縄志)では安国寺に隣接する客館の敷地内に四棟の建物が確認できる。

御客屋跡
おきやくやあと

[現在地名]萩市大字瓦町

かわら町の西詰にあって御成道に南面していた。萩町奉行所で、名称は他藩の者の応対や宿泊所を兼ねたことによる。

貞享元年(一六八四)に設けられたといわれ、天保年間(一八三〇―四四)の「八江萩名所図画」には門と数棟の建物が描かれる。嘉永年間(一八四八―五四)の城下町絵図には町の北西に「御客屋」、その北に「御客屋会所」を記す。町奉行所の事務は御客屋会所で執ったものと思われる。

町奉行は江戸時代初期には萩・山口、三田尻みたじり(現防府市)の三ヵ所に置かれていたが、江戸中期には萩町奉行だけとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報