待詔局(読み)たいしょうきょく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「待詔局」の意味・わかりやすい解説

待詔局
たいしょうきょく

明治2 (1869) 年3月 12日,民間の上書建白を受付けるため宮城内に設けられた政府機関で,知事,主事を任じた。最初の知事には,4月8日清岡岱作 (たいさく) が任命された。7月8日の官制改革で待詔院と改称され,上局,下局をおいた。上局は実際には機能せず,下局は翌8月 15日,集議院に合併された。

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世界大百科事典(旧版)内の待詔局の言及

【公議所】より

…集議院長官は参議・卿と同格とされ,公議所公議人がそのまま議員となった。同年8月15日待詔院下局を合併するが,これは同年3月12日に上書建白を受理するため設けられた待詔局が,7月8日の官制改革で待詔院となり議定・参与からなる上局と各藩貢士からなる下局を置いたが,上局は有名無実であり,その下局を合併したものである。したがって以後は集議院で建白を受理することとなり,議員中より12名の幹事を選び交代で取り扱わせた。…

※「待詔局」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」