当条村(読み)とうじようむら

日本歴史地名大系 「当条村」の解説

当条村
とうじようむら

[現在地名]広川町広川

牟礼むれ村の西にあり、広川が流れる。天正一一年(一五八三)と推定される三月二八日の大友義統知行預ケ状(歴世古文書/大日本史料一一―二)によれば、「筑後当条村」など五町分が辺春へばる(現立花町)で戦死した稲員大蔵への恩賞として子息安守に預けられている。これより先、当村は高良こうら(現久留米市)座主麟圭の本領であったが、麟圭が大友方から龍造寺方に寝返ったため没収された。同一七年村名が定められ、当条村二五町とされる(以上「稲員家記」)。文禄二年(一五九三)三月一八日の高良山知行所指出(稲員家文書)にもと稲員安守領の当地二五町がみえる。なお永禄九年(一五六六)と推定される九月一五日の大友宗麟書状(大友家文書録/大分先哲叢書「大友宗麟」三)にみえ、桜井藤兵衛入道に扶持として与えられた守郡(守部か)新左衛門尉跡の上妻こうづま郡凌徳のうちの「当重」一〇町は当村のことか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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