引間村(読み)ひきまむら

日本歴史地名大系 「引間村」の解説

引間村
ひきまむら

[現在地名]群馬町引間

西国分にしこくぶ村の南、冷水ひやみず村・棟高むねたか村の東にある。西北から南東染谷そめや川が流れ、ほぼ同川左岸、村域中央部に疋間ひきま村を含み込む。土地はおおむね平坦。永正庵えいしようあんほか四所に縄文時代の遺跡があり、諏訪西すわにしほか三所から土師器が出土した。

寛文郷帳では田方七四石余・畑方二九九石余、旗本安藤領。のち冷水村が分村したと思われ、元禄郷帳では当村三六〇石余、冷水村三五石余が記される。当村は明暦三年(一六五七)安藤重広が父である高崎藩主安藤重長から分知された群馬郡五千石のうちに含まれたが、重広の養子信富領になってからも安藤氏の苛政に苦しめられた。酷税に耐えかねた領民は宝永六年(一七〇九)評定所へ出訴、旧領主秋元氏の応援を得て安藤氏追放に成功、安藤氏の群馬郡の所領は越後国に替えられ、安藤氏の所領は旗本領となった(住谷文書ほか)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報