弁天島遺跡(読み)べんてんじまいせき

日本歴史地名大系 「弁天島遺跡」の解説

弁天島遺跡
べんてんじまいせき

[現在地名]根室市弁天島

弁天島にあるオホーツク文化の代表的な遺跡。遺跡南西部は港湾建設のため一部が破壊されている。明治一〇年(一八七七)にアメリカ人植物学者モースが大森おおもり貝塚(現東京都品川区など)を発見して日本の考古学が始まったとされるが、翌一一年イギリス人地質学者ジョン・ミルンが弁天島で貝塚を発見、発掘調査報告が同一三年「英国人類学協会誌」に掲載され、オホーツク式土器が紹介された考古学史上でも重要な遺跡。昭和三七年(一九六二)東京教育大学による発掘調査をはじめ現在まで多くの研究者による発掘調査が実施されている。

弁天島遺跡
べんてんじまいせき

浜名湖南部、弁天島北側の湖底に立地する弥生時代中期から古墳時代後期の遺跡。弁天島海底遺跡あるいは弁天島湖底遺跡ともよばれる。昭和四二年(一九六七)と同五〇年に調査が行われ、遺跡は南北一〇〇メートル・東西七〇メートルに広がり、三ヵ所の井戸跡が検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報