康継(読み)ヤスツグ

デジタル大辞泉 「康継」の意味・読み・例文・類語

やすつぐ【康継】

[?~1621]桃山末期・江戸初期の刀工近江の人。のち越前移住通称下坂しもさか市之丞。徳川家康より「康」の字の使用あおい紋を銘に入れることを許され、徳川家の御用鍛冶を務めた。以後、代々名跡継承。→葵下坂あおいしもさか

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精選版 日本国語大辞典 「康継」の意味・読み・例文・類語

やすつぐ【康継】

桃山末期~江戸初期時代の越前の刀工。肥後大掾を受領。慶長一〇~一一年(一六〇五‐〇六)頃、徳川家康より、「康」字と葵紋を銘に入れることを許され、五十人扶持を賜わり、幕府抱工となる。以後、江戸時代を通して名跡を継承。南蛮鉄を用いて鍛えた刀が多い。生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「康継」の解説

康継

没年:元和7.9.9(1621.10.23)
生年:生年不詳
江戸初期の刀工。近江国(滋賀県)坂田郡下坂の出身で,越前福井に移住し松平家の抱え鍛冶となった。はじめ肥後大掾下坂と名乗ったが,慶長11,12(1606,07)年ごろ,徳川家康,秀忠に江戸に召し出されて作刀し,康の字を賜り康継と改名し,同時に茎に葵紋を切ることを許された。以後徳川将軍家の抱え鍛冶として,江戸,越前を隔年出仕した。作品は刀,短刀ともに多く,沸の強い相州物の作風を得意とし,他に山城,美濃などの作風も倣っている。また大坂の陣で焼けた古名刀の焼き直しを行い,それらの模作も多く作った。康継は同銘が幕末まで代々続き,3代目からは江戸と越前に分派した。<参考文献>佐藤貫一『康継大鑑』

(原田一敏)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「康継」の解説

康継 やすつぐ

越前康継(えちぜん-やすつぐ)

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