庚寅の乱(読み)こういんのらん(英語表記)Kyǒng-inǔi nan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「庚寅の乱」の意味・わかりやすい解説

庚寅の乱
こういんのらん
Kyǒng-inǔi nan

朝鮮高麗朝に発生した武人反乱。高麗の毅宗 (在位 1146~70) 時代は文官に対する武人の不平が高まっていたときであるが,上将軍鄭仲夫 (ていちゅうふ) は毅宗 24 (70) 年,兵をあげて毅宗を廃し明宗を立て,みずからはその下で軍事と政治を掌握するにいたった。これを庚寅の乱という。庚寅の乱は続いて起る明宗3 (73) 年の癸巳 (きみ) の乱とともに文臣政権の崩壊武人政権の成立を示すものとされている。

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世界大百科事典(旧版)内の庚寅の乱の言及

【鄭仲夫】より

…朝鮮,高麗朝の武臣で武人政権の創立者。黄海道海州の人。兵士から身を起こし,武勇を買われて毅宗のときに上将軍となった。当時武臣は文臣に軽蔑され不満がつのっていた。1170年毅宗が郊外に遊幸したとき,彼は護衛にあたっていたが,同行の李義方,李高らの武臣と共謀し,突如として王の一行に襲いかかり随行の文臣を斬り,つづいて王城にかけもどり,生活苦に悩んでいた兵士を扇動して蜂起させ,多くの文臣を殺害追放した(庚寅(こういん)の乱)。…

【武人政権】より

…また国軍の兵士も生活不安と重い労役に苦しんでいた。そういう不満がつのり,1170年鄭仲夫,李義方,李高らの武臣はクーデタを起こして兵士を蜂起させ,多くの文臣を殺害追放して一気に政権を掌握した(庚寅の乱)。つづいて73年東北面兵馬使金甫当が反対の兵をあげると,それを鎮圧すると同時に,またも文臣を殺害追放した(癸巳の乱)。…

※「庚寅の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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