広瀬城跡(読み)ひろせじようあと

日本歴史地名大系 「広瀬城跡」の解説

広瀬城跡
ひろせじようあと

[現在地名]福光町舘

小矢部おやべ川西岸の旧広瀬郷一帯を見渡す標高三五三・四メートルの山上に築かれた中世の城。城山じようやまとも称された(三州志)。東麓にあるたち地名はこの地に在地領主の居館が存在したことをうかがわせる。当城が比高二二〇メートルの背後の山上に位置することから、初めは万一の際に立籠る詰城として築かれたとみられる。しかし天正一二年(一五八四)から一三年にかけて佐々成政加賀の前田利家と国境線を挟んで戦火を交えると、当城は成政側の支城として重要視され、修築・再使用されたと思われる。

広瀬城跡
ひろせじようあと

[現在地名]国府町名張

名張なばり瓜巣うりす境の山稜にあり、中世には古川ふるかわ盆地南部に勢力を張った国侍広瀬氏の居城であった。「飛州志」には田中たなか城とある。「斐太後風土記」では、広瀬町ひろせまち村の山崎やまざき城にいた広瀬氏が移り住み、のちに瓜巣村高堂たかとう城に新城を築いたので、当城は家臣田中与三左衛門に預けたとしている。天正一二年(一五八四)京極氏被官三木自綱が広瀬宗域(宗城)を討ち、その持分となったが、翌一三年金森長近が三木氏を攻略し、廃城となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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