幸前村(読み)こうぜんむら

日本歴史地名大系 「幸前村」の解説

幸前村
こうぜんむら

[現在地名]斑鳩町大字幸前

法隆寺ほうりゆうじ村東方の村。村域の南部に融通念仏宗幸隆こうりゆう寺があり、北部に幸隆寺・幸隆寺前の字名が遺存する。村名は幸隆寺前の略称か。ほかに国府前こふさき(大和郡山市今国府いまごう町の西方説、聖徳太子ゆかりのさいわい門があった所とする説などがある。慶長郷帳には「こうせん村」と記す。「嘉元記」の暦応五年(一三四二)六月三日条に幸前、文和三年(一三五四)七月二日条に幸前庄の名が所見する。南北朝期には幸前殿の名がみえ、「大和志」には幸前村に塁跡のあったことを載せている。

慶長郷帳では村高二三八・四石。竜田藩(片桐且元)領。寛永一五年(一六三八)同藩の減知で幕府領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報